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2026/01/13 お知らせ

「家族として看取る」初めて見えた景色

 

看取る側になって、初めて見えた景色

先日、私自身の叔母が他界しました。
これまで仕事として、たくさんの方の最期に寄り添ってきましたが、
「家族として看取る」という立場になったことで、改めて感じたことがありました。

それは、
看取る側の心情は、想像以上に揺れ動くものだということです。

覚悟していても、心は追いつかない

もう長くはないと分かっていても、
「今日かもしれない」「まだ大丈夫かもしれない」
その間を行き来する気持ちは、とても苦しく、落ち着かないものでした。

何かしてあげたいのに、
何をしていいのか分からない。
声をかけるたびに、これが最後になるかもしれないと思ってしまう。

これまで支援の現場でご家族に寄り添ってきた私ですが、
その時の叔母を前にして、
「ご家族の不安や戸惑いは、こういう気持ちだったのか」
と、身をもって知りました。


仕事で得た知識と経験が、家族を支えた

そんな中で、私自身が救われたのは、
これまでの仕事で積み重ねてきた経験でした。

・最期が近づくときの身体の変化
・無理に声をかけなくても、そばにいることの意味
・「何もしない時間」も、立派なケアであること

それを知っていたからこそ、
過度に慌てることなく、叔母の時間を尊重することができました。

そして何より、
「叔母がどう過ごしたいか」
を一番に考えることができたと思います。


叔母が望んだ“その人らしい最期”

叔母は、慣れ親しんだ場所で、
家族の気配を感じながら過ごすことを望んでいました。

無理な延命や、慌ただしい医療行為ではなく、
静かで、穏やかな時間。

 

仕事を通して「その人らしい最期」がどれほど大切かを知っていたからこそ、
家族としても、その選択を迷わず支えることができました。

結果として、叔母はとても穏やかな表情で旅立ちました。


看取ることは、別れではなく“寄り添い続けること”

今回、家族として看取りを経験し、
改めて感じたのは、
看取りは「亡くなる瞬間」だけの話ではない、ということです。

その日まで、どう寄り添い、
どんな時間を重ね、
どんな気持ちでそばにいるか。

それが、看取る側の心に、
「やってあげられた」という静かな納得を残してくれるのだと思います。


この経験を、これからの支援へ

叔母を看取ったことで、私は支援者として
もう一歩深く、ご家族の気持ちに寄り添えるようになったと感じています。

不安でいっぱいな表情
言葉にできない迷い
「これで良かったのか」という問い

それらすべてに、
「大丈夫です。一緒に考えましょう」
と、より実感をもって伝えられるようになりました。


最期の時間が、後悔ではなく“ありがとう”で満たされるように

看取りは、決して簡単なものではありません。
けれど、ひとりで抱えるものでもありません。

叔母が教えてくれたこの経験を、
これからも「ぴーすくら」の支援に活かし、
一人でも多くの方が、その人らしい最期を迎えられるよう、寄り添い続けていきたいと思います。

叔母へ。
たくさんの気づきを、本当にありがとう。

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