2025/12/08 お知らせ
ー 在宅という選択 ー
不安が「大丈夫」に変わった日
-在宅という選択-
O様はご高齢による体力の低下が進み、いつ急変してもおかしくない状態でいらっしゃいました。
ご家族にとって一番大きな思いは、
「本当に自宅で看てあげられるのだろうか」という不安だったと思います。
そこで、訪問診療のクリニックの先生、看護師さん、ケアマネジャー、そして私たち「ぴーすくら」が集まり、
これからどこで、どのように過ごすことが一番その方らしいのか、何度も話し合いを重ねました。
ご家族の心の中には、
・自宅で何かあったらどうしよう
・苦しませてしまわないだろうか
・病院のほうが安心なのではないか
そんな迷いが幾つも交差していたことと思います。
私たちは、お看取りに関わってきた経験を踏まえ、
「ひとりで抱え込む必要はありません。私たちが一緒に支えます」
そうお伝えしました。
ご家族が少しずつ表情を和らげ、「家で過ごさせてあげたい」
そのお気持ちを口にされたとき、在宅での時間が始まりました。
最期に交わされた「ありがとう」
O様には訪問看護が入っており、亡くなる前日にも看護師さんがケアに伺っていました。
その日のご様子から、「お別れが近いかもしれない」と感じ、
奥様にそっと心の準備ができるようお話ししていました。
好物に包まれて -静かなお別れ
翌日。夕食前、O様の大好物である鰻をご家族が買ってきてくださいました。
奥様が「食べられそう?」と尋ねると、O様は
「〇〇ちゃんが買ってきてくれたの?食べる」
と、穏やかでしっかりとした口調で答えられたそうです。
奥様が準備を始めた、そのほんのわずかな時間の中で、
O様は静かに、苦しむことなく旅立たれました。
まるで、「ありがとう」を伝え終え、安心して眠るように。
“自宅で看取れた”という安らぎ
後日、弔問に伺った際、奥様はこうお話しくださいました。
「最後は拍子抜けするほど静かでした。苦しむこともなく、本当に穏やかでした。
主人はもともと病院やデイサービスが好きな人ではなかったので、
皆さんのおかげで、自宅で最期まで過ごさせてあげられて良かったです。」
その言葉には、悲しみと同時に、確かな納得と安堵が滲んでいました。
その人らしい最期のために
在宅での看取りは、不安がゼロになることはありません。
けれど、医療・看護・介護が連携し、支える人がそばにいれば、不安は「安心」に変わっていきます。
O様らしい、穏やかで温かな時間を共にさせていただけたこと。
そして、ご家族が「この選択でよかった」と思えるお見送りができたことを、
私たちも心から嬉しく思います。
O様、ご家族の皆さま、そして支えてくださったSクリニックの先生、
看護師さん、ケアマネジャーの皆さまに、深く感謝申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
